茶の本 book of tea:お茶の美意識について

さいえを始めたころ、お客さんの多くに「日本茶では・・・」「茶道では・・・」と、お茶の世界から見た陶磁器についての質問や感想、相談、お話などをいただき、当時、お茶のことはほとんど知らずに『雑貨屋さんです!!』という顔でお店をオープンしていた私は、ちょっと焦って、ほんの少しですが、お茶の本を読んでいました。
そこで出会った本、
『茶の本 book of tea』 岡倉天心(著)千宗室(序と跋)浅野晃(訳)
初めて読んだ時、感銘を受けてたくさん付箋をつけています。この本は岡倉天心さんが英語で日本のお茶について書いており、それに日本語訳が付いたお茶についてのお話の逆輸入版の本です。

いろいろ気になった文言を引用したいと思います。序文からも引用しています。
日本人のメンタリティとして、これらの言葉に共感する方は多いのでは⁈とも思います。精神論や美意識など改めて本の付箋を振り返ってみました。まとまった文章を引用すると大変長くなるので、多少個人的な感想も含まれますが、文脈として捕捉しています。

茶の湯の美意識をまとめる

天心は茶の湯は精神文化のひとつの形であり、「生活という芸術」に変化する修行のひとつであると捉えていた。

『茶の本 book of tea』p24 序文

「生活という芸術」というところに目的があることに、気づかされます。
確かに日本では歳時記とか、季節にもかなり繊細に物事を見るのが得意な部分があると思います。

われわれの住居、習慣、衣食、磁器、漆器、絵画-われわれの文学でさえもーすべてそれの影響を受けて来ている。日本の文化を研究しようとするほどの人ならとうてい茶道の影響を無視することはできない。

『茶の本 book of tea』p36 人間性の茶碗

茶には酒のような横柄なところもないし、コーヒーのような自意識もないし、ココアのような作り笑いをしているといった無邪気さもない。

『茶の本 book of tea』p48 人間性の茶碗

お茶の喫茶文化は急速に世界に広がり、お茶は生活必需品になっていった、という話。
例え方が面白い。

茶の理想も東洋文化のさまざまの情調を特徴づけている。煮る団茶、かき廻す粉茶は、淹す葉茶は、はっきりと中国の唐朝、宋朝、明朝、情緒的衝動を示している。ー中略ーそれぞれ、茶の古典的、浪曼的、自然主義的流派と呼んでもよいであろう。

『茶の本 book of tea』p58 茶の流派

人生は一つの表現であり、日々の些細な行為にも理想が投影される、というような話。そんな中で茶の理想の説明がありました。些細な事柄から、人々の気持ち、時代感なども見えてくるという考えが面白いですね。

茶はわれわれにあっては、飲用の形式の理想化以上のものとなった。すなわちそれは生の術についての一つの宗教となったのである。

『茶の本 book of tea』p74 茶の流派

中国本国では、蒙古襲来で宋代のお茶の運動は中断されたが、1281年蒙古襲来を免れた日本は茶の湯でその理想を追求できた。という話。さらにその前、801年に最澄がお茶の種子を持ち帰っていたり、1191年に宋代のお茶を栄西禅師とともにもたらされているなど、仏教的趣がある。

すべてこれは深い芸術的用心の結果であるということ、最も華美な宮殿や寺院の建造に費やされるよりおそらくはるかにより以上の注意をもって、その細部が仕上げられているということである。

『茶の本 book of tea』p112 茶室

細部に気を配ると何度も説明されていて、茶室となるとその職人も最高の仕事を求められ名誉であるらしい。
世俗的なものも認める・・・宇宙とひとしい可能性をもっている・・・と、書かれてはいるものの、茶室はちょっと階級があるみたいです。
個人的にいいように捉えると、民間人にも茶室でお茶した~い!と思うのですが、世俗と高貴を行き来できなければならないような絶妙な敷居の高さを残していますね~~。それは美意識、というものかもしれません。

「非相弥性の住居」(数寄屋)は、わが国の装飾法のいま一つの相を暗示している。日本の美術品がシンメトリーを欠いていることは、西洋の批評家によってしばしば述べられて来たことろである。-中略-完全それ自体よりも、完全を追求する過程により多く重きを置いた。真の美は、自分の心中で、未完成なものを完成する者のみがよく見出し得るものなのだった。

『茶の本 book of tea』p130 茶室

想像力に委ねられていますよ~。ということですが、そういうことは日本の文化の中には確かに見られるもの。成長や伸びしろを加味してくれたり、漫画などでも、想像力は常に問われているとも思います。ただ、文章で伝えられると、少々押しつけがましいと感じてしまう、あまのじゃくな私。
いろいろな物事を想像力で補完しあうことは、美以外の物事でも、発揮したい人間的動物的感覚だと個人的には思ったりもします。でも、言葉にしていただいて、気づけました笑

茶室では、反復のおそれがいつも存在している。室内装飾のためのいろいろな物は、色彩も意匠も重複しないように選択されねばならない。

『茶の本 book of tea』p132 茶室

というほど、細心の注意をもって、単調を避けられているのでした。
でも、思い浮かべる茶室は単調ではないけれど、全く騒がしくない静寂の間、という印象です。きっと、細部に目を向け始めれば、世界が宇宙にまで広がっていくほど深いのかもしれません。

感想

徹底的に細部にこだわる美意識、
単調とシンメトリーの排除、
世俗と高貴の間を行き来する自由さ、
茶の湯という芸術表現のリズム、
絶妙に世俗を排除している感(笑)、
お茶という離れがたい存在。

個人的には、完全と不完全というものも、想像力で補うべきだし、もしくは、それは圧倒的な魅力だと思います。
完全すぎるものにアシンメトリーを足したくらいでは、魅力は足りないのでは?障子に穴をあけなければ!笑
なんて、茶の湯に文句言うなんて、どんな立場だ(笑)
という、個人的な意見もありますが、ともかく、いろいろな奇跡と並大抵でない努力のたまものとして、世界に誇れる日本の茶の湯があります!そんな茶の湯を勝手に誇らしくも感じ、これからもまた、勉強を続けていきたいと思います^^