very japanese2: 鎖国の世界

上の写真は5/3の朝日新聞の日曜版に入っているミニ冊子の表紙でした。今から1週間ほど前の記事です。
世界同時『鎖国』
なんと言う衝撃的な見出し・・・
この見出しを見た先週は、心にずっしりときました。なんとなくですが、世界のキズが深く見えた。世界の悲しみがぐぐっと体に響いてくるような感覚。私のブログはニュースにコメントできるだけの裏付けなどあまりないので、鎖国について、あいまいに書くのはどうかと思いましたが、それでもそんな人の意見の一つとして、私たちは今貴重な経験をしている。と捉えて、鎖国について考えてみました。

鎖国について
日本は「鎖国」だけで言えば、鎖国経験ありの国です。他にもあるかもしれませんが、国の政策としての意思決定で鎖国になっていた江戸時代を経験した国であります。
過去の鎖国では、すでに海外との交易が盛んだったところを閉鎖していくという流れらしく、植民地化するのを警戒して、勢力を拡大してくるキリスト教を警戒して、徐々に鎖国化していく、、(すいません、簡略化)歴史的にはそのような流れでした。そんな中でも長崎の出島では貿易はしていたし、情報集めや必要な交易はやってて、江戸時代のそのあたり、武士の交渉力なのか、したたかさやら現実を見据える力など今より優れていたりして・・・!?なんて思ってしまいます。
あまり勉強していないので、私が言えたもんじゃないですが、鎖国時代から何かヒントが転がっていそうだよな、なんて現在の鎖国状態と照らし合わせて思ってみたりしています。
鎖国があってこそ江戸文化が花開いた、と何かで読んだことがあります。江戸時代に(プラス平安時代も・・・これはまたいつか書きたい)日本のオリジナリティが開花する時期というのはあって、そのオリジナル感が実は今の私たちを支えている、と私は思うことが多いです。
エジプトで例えると、エジプト文明が残したものが今でもエジプトの観光産業を支えている、というようなイメージです。

実は日本にしかないもの。
そして、今でも残っているもの。
それは過去、日本のオリジナリティが花開いた宝物。

さて、現在の鎖国時代。ネットでは海外とのやりとりはできるし、一部物品は動いている。人の行き来が制限される状況下で、あらゆる人がそれぞれのケースバイケースを持っている。実は健康意識が高かった?実はどんな災害時でも冷静になれるメンタルだった?さらには、これから困難な状況を切り抜けるための夢をすでに描き始めている?
日本はこの鎖国時代にどんな宝物をこしらえることができるんだろう?

まだまだそんな甘っちょろいこと考える時期ではないよ。という気持ちもありつつも、いや、意外と町の人の顔はなんというか、「なるようにしかならんし」と、冷静に現実を受け止めているようにも見えて、ついつい明るい未来を期待してしまいました。

コロナ禍における日本人の態度の中にも、very japaneseな感覚を覚えずにはいられません。また、江戸時代の宝物が私たちを(自分たちがうまくそれに気づけているかは別として・・・)支えている部分があるとしたら、、、この状況下で世界のあちこちでも自国アイデンティティを強める期間!となっていたりしないだろうか??今、自分の部屋で蓄えている力を見せるときが来ないとおかしい!くらいに思ってしまういつもドラマチックなストーリーを妄想する私・・・
世界のオリジナリティが花開くことを望んでいます。

そう言えば、昔FMラジオで香港の駐在員の人が、「香港は九龍城もなくなって、どの都市も似たり寄ったりになってしまった・・・」と、語っていたのがずっと心に残っています。
町のオリジナリティ、町のアイデンティティ、、、住みやすい使いやすい効率重視で作られていった町にどんな魅力が残されているのでしょう。と、ラジオで提言されていました。私はいつも個性的なものが好きなので、そのような個性が国や町に見られるように、この鎖国状態に希望を持ちたいな。と思っています。